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責任の所在
- 2005年4月20日 16:35
中国の反日デモに関連して、日本語学校に投石、という事件が数件起こっています。
こういう「愛国」という美名の下の暴力の応酬にはどうも共感できません。そこには、事実認識も直接対話もない。ただ、単なる「憎しみ」「仕返し」だけ。
中国の歴史についての事実認識に疑問を投げかける声がこの数年、よく報道されています。事実誤認なのか、解釈の違いなのかわかりませんが、とにかく、教科書の記述が偏向している、ということはたびたび日本国内で指摘されていました。そして、それについての具体的な解決方法としての調査研究ということも、提案されていたと思うのだけれど、外交的な動きは国民には見えないまま、日本としてはひたすら沈黙、、そして、教科書問題と言えば、日本側の記述内容へのアジア諸国からの指摘、という図式が定着していたわけです。
私が疑問なのは、外務省や文科省はこういうことにどう機能するのか、ということ。どんなに外交的にデリケートなことがあったにせよ、少なくとも教科書に書かれた、という事実については、相互に検査し、少なくとも事実関係に疑問があることを指摘することは、正常なことではないかと思います。それを放っておいて、こんな結果を招いた(かもしれない)責任はどこも追求されないのでしょうか。
役所と言うのは、権限と同時に責任を背負う、、それは、、何かした、という責任だけでなく、何もしなかった、という責任も、もっと積極的に問う姿勢に変えていただきたいものです。
なんのかんの言っても、一番は政治家のレベルが低い、ということなのかもしれませんけど。。というと、それを選んだ国民のレベルが低いってことか。むむむ。。
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