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ミャンマーの卒業生
- 2005年10月14日 00:12
打ち合せが終わって教務室に戻る途中、ふとカウンターの向こうに目をやると、なんだか知ったような顔が。あれ〜!!!。。カウンターにすっとんでいくと、なんと18年も前にいたミャンマー出身の卒業生でした。彼が来日した88年はミャンマーの民主化運動が起こった年。その年、民主化運動の失敗から国外に逃れた学生たちの一人でした。当時、うちにはそういう学生が数名来ていて、「私たちは、国に帰ったら殺される」と言い、殺されたという学生仲間の写真を見せてくれたのを鮮明に覚えています。カイを出た後、他のみんなはどうなったかと聞くと、一緒に日本に来た仲間のうち一人はラオスで、もう一人は中国で殺され、また自分も帰国中銃撃され、危うく死にかけたのだとか。学校のスキー旅行で雪を見て大はしゃぎしていたもう一人は、タイに渡ったあと仕事も見つからず、結局お酒の飲み過ぎで病死した。。等という数々の衝撃的な内容に、そんなこともつゆ知らず、そう言えばどうしてるかなあぐらいにしか思い出さなかった自分を恥じました。
さて、一方の彼自身は周りの援助もあり、「難民認定された」とのこと。日本の難民認定は超難関で国際的にも知られているほどですから、認定されたというのは幸運中の幸運と言えます。何しろ、最近よくなったと言って年間10〜20名ぐらいしか認定されていないのですから、東大入試よりはるかに難しい(!?)と言えます。
とにかく彼は、認定されたことで晴れて娘を日本に呼び寄せたのだとか。え?その綺麗なお嬢さんはむすめ???と聞くと、嬉しそうに「はい。長女です」と、少し太ったけれど、18年前とあまり変わらない笑顔で答えてくれました。なんでも、今回、娘を呼び寄せるということで、日本政府が彼女の日本語教育を無料で面倒見ると言っているのを断り、高い月謝を払ってまでうちに連れて来てくれたのだとか。今も日本で民主化運動を続けながら、居酒屋で働いているという彼は、娘の授業料を、真新しいお札で払ってくれました。両手で差し出してくれた何枚かのお札が、なんとも重く感じられ、帰り際「娘をカイに預けます。よろしくお願いします」という彼の言葉に、「わかった!」と答えるのが精一杯でした。
自分の意識以上に、知らず、人の人生に大きく関わってしまう日本語学校の仕事について、なんとも空恐ろしささえ感じられてしまうと同時に、ますます魅力もやりがいも感じます。やることも、考えることも、まだまだ山積みですが、それが面白いこの仕事。マネーゲームで大もうけするより、ずっと豊かだと私は思う。
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