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あいまい考
- 2005年10月25日 11:31
前にこのネゴトであいまいさについてコメントしたことがあります。それを読んで、アエラの記者が3週間ほど前取材に来ました。「あいまいさ」を肯定的に捉えて取材をしているとのことでした。それで私は、あいまいさは悪者になっているが、実はどこの国の言語にも存在するし、むしろ文化度合いの指標だと捉えてもいいのではないか、というようなことを2時間ほど話しました。今週発売の10月31日号のアエラの特集の一つ、「あいまい力が日本を変える」という記事に私のコメントもほんのちょびっと出ています。
あいまいさは、言葉の上では婉曲表現と呼ばれたりします。それは、白黒つけず自己主張をさりげなく行うという技術。ストレートに話すのは野暮であり、言いたいことをやんわりと相手が受け取りやすく話すことこそ優雅で上品だと言う価値観は、つい最近まで常識だったはず。同国人同士ではそれで良かった。
ところが、今のようにグローバル化が進み、様々な国の人たちと話す必要が生まれると、当然ながらそればかりでは問題が起きます。ディズニーランドのスタッフマニュアルは、あいまいさを排除し、詳細かつ明確な記述で知られていますが、それは、どんな背景のスタッフも決められた質の高いサービスを提供する、という方針の下に作られ、その必要性があったから。多文化共生には大変参考になる手法です。しかし、それはいい/悪いという価値ではかるべきものでなく、目的に対して適切かどうか見定められなければ、なんでもかんでもさらけ出すのがよい、という、ガラス張りの浴室のような居心地の悪さを強要されるようになりかねません。
いやしくも日本語教師であるからには、外国人たちの反あいまい運動(?)に会っても決してたじろいだりしてはいけません。「日本語はあいまいだ!」「日本人はうそつきだ!」などという発言にあっても、恐れず、あるいは逆上もせず、ただ冷静に、あなたの国にもあるのだ、ということを思い出してもらうこと。その本来の機能をポジティブに捉え直し、あなたもあいまい力をつけて文化度を上げよう!とさえ言ってみる。。そうすると、今あるステレオタイプ的日本人論から脱却して、お互い、もっと楽しいコミュニケーションがとれるようになるかも。と、あいまいに終わっておくのがエレガント?!
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