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メール考

  • 2008年3月 6日 22:52

数年来の知り合いのドイツ人の女性が、仕事で学校にやってきました。大方の話しが済んだ頃、彼女がこんなことを言いました。
「よかった。メールでやりとりしているだけでは、本当にあなたたちが了解しているかどうかわからない。こうして直接話して、本当にその通りだというのがわかった」「興味がある、という前向きな返事であっても、実際にはお愛想で言っているのか、あるいは本音なのかがメールで判断するのは難しい」

なるほど。そんな彼女の言葉に、いわゆる<行間を読む>ことの難しさが<お互いさま>であることに気づき、ハッとさせられました。自分は相手のメールの文章の真意を量りかねて悩むことがあるくせに、相手もそう感じるだろうことには意外な程、思い至らぬもの。
日本語だったら向こうがどう受け取るだろうということを細かく想定して、一文一文相当気を使って書きますが、外国語の場合にそこが難しいのです。難しいからこそ気をつけるべきなのですが。
外国人は行間が読めない(から困る)、という日本人の声はよく聞かれるところです。けれども、外国人が行間を読めない(読まない)のは、彼らの能力や国民性の違いの問題ではなく、<日本語が外国語である>から。
逆に、外国人は文章をそのまま受け取る。日本人のように裏を読んだりしないものだ、というのは明らかに、<偏見>であり、<差別>にもつながります。行間を読んだり深読みしたり、というのは日本人の専売特許ではありません。自分のメール文に気を使うのはどの国でも同じこと。昨日話したイタリア人女性も、「難しいメールを送るときには、必ず一晩置いてから出すことにしている」と言っていました。
今や、メールは欠かせない存在なだけに、これからの日本語教育でどう教えるか。メールだけで解決できないことも含めて、考えて行かなければなりません。ね。

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