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2008年11月アーカイブ

25年ぶり

日本語教師になったときの同僚の数野さん(ちょっとばかり先輩)に25年ぶりに会いました。
数野さんは今は家具職人。仲間の陶器、織物などの作り手たちと一緒に青山で個展を開くという通知が来たのが2週間ほど前でした。昨日、当時の日本語教師仲間(というか、kaiを一緒に立ち上げた仲間で今もうちの役員)から連絡があり、一緒に行くことに。

久しぶりで会ったみんなは元気でした。特に、数野さんは25年ぶり。全然変わっていなかったのにも驚きましたが、ふと見た手の爪が真っ黒に変色し、すっかり職人の手になっていたのにも感銘を受けました。

個展があった青山も、25年前を思い出させてくれました。当時私たちは、六本木や神谷町のIBMなどの外資系企業で朝の授業を行ったあと、30分で戻って授業、というなかなか厳しいスケジュールで動いていました。そのとき、数野さんと山下さんという二人の講師がバイクを移動手段としていて、同じスケジュールが入っていた私たち講師も後ろに乗せてもらい、すっ飛び帰りをしたものです。このあたりはそのときのルートの一つでしたっけ。

こうして25年ぶりに誰かに会うと、時間の流れは本当に早いと改めて思い知らされます。大学を出て数年、という若者だった頃の仲間たち。お互い曲がりきったお肌や薄くなった髪には気づかぬふりをしつつ、再会を喜び合いました。

私たちが同僚だった頃は養成講座や検定試験などほとんどなく、それほどマイナーな職業を一時的であれ選ぶだけあって、ちょっと変わった人が多かったように思います。
数野さんのように、さっさと見切りを付けて違う道を選んだ人、しばらくとどまったものの、やはり他の道に移った人。いずれにせよ、残った人はそう多くはありません。

それにしても四半世紀。その間に、それぞれがそれぞれの道を進み、自分育てをしたのだなと感じました。

kazuno.jpg

私が買った、家具工房KAZUNO の作品。
ペーパーナイフと印鑑立て(中に朱肉が入っている優れもの)とカード立て。


原宿.jpg

ご存知、原宿通りです。ようやく街路樹も色づき始めたこの通り。
三連休初日のせいだからか、初詣もかくやと思えるほどの混み方でした。

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行きたいところに行く能力?

  • 2008年11月18日 14:22
  • 日本語

昨日は、日振協のプロジェクトの仕事で企業へのヒアリング調査のために昼前から外出しました。日頃乗り馴れない方面の私鉄沿線。方向音痴の私一人だとかなり不安なのだけれど、今回はヒアリング先の企業のOBの方が同道して下さるとのことで、当然ながら大変スムーズに行き着くことができました。

明日も知らない町へ行きます。
そう言えば、私が道に迷う状態はまるで外国人。いや、気の利いた外国人より私は遥かに劣っています。

「行きたいところへ間違いなく行ける」という能力をつきつめていくと、必ずしも日本語と関係ないことがわかります。もちろん、地名がわかっている、ところから始めるとして。
誰にも聞かず、地図を見ながら行ける人もいます。これと反対に、地図があったとしても、むしろ人に聞きながらたどり着く人もいます。
私は方向に関しては自分が信じられないので、人に聞きながら探す方です。頭に磁石が入っているような人がいますが、私の磁石は壊れているようで、ほとんど役に立ちません。2回曲がるともうどちらから来たか怪しくなります。

こういうサバイバル的な項目について、日本語で何を補完すべきなのかを考えるのはなかなか面白い作業でもあります。このような作業から日頃教えている日本語表現の見直しにつなげていくことができます。世の中の動きが早いので、見直しも早いペースで行わないと、教える内容と実社会がかけ離れてしまいます。たとえば、携帯にガイドしてもらいながら行き着くという新たな選択肢も最近はありますが、そんなのは以前は想定外でした。いつの間にか「燃えるゴミ/燃えないゴミ」という表現も消え、「資源ゴミ」「その他ゴミ(燃やすゴミ」などと分別方法と一緒に大きく変わった自治体が多いようです。

日本語教師はそんなことをいつも考えながら教えなければならないのですが、それがまた面白い所以なのです。

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秋の夜長のお汁粉

秋の夜長、夜更かしを決め込んでパソコンを開いたものの、薄ら寒い今日この頃。なんとなく小腹も空いて落ち着きません。ふと数週間前の京都出張の際買って帰ったお汁粉が残っていたのを思い出して、さっそくお湯を沸かして作りました。

一つずつきれいな小箱に入っているこのお汁粉(不老線という名がついています)は、お湯に溶くと、ふわっと小さな鳥のお餅が2羽浮いてきます。二條若狭屋という、いかにも老舗らしい屋号がぴったり。優しい甘みに、すっかり暖まりました。

お汁粉.jpg


鳥のお餅、そっぽ向いちゃいましたが、かわいい。
右はお汁粉が入っていたかわいい小箱。こんなにきれいだと、捨てられません。

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医療事故とコミュニケーション

この1〜2週間の間に、立て続けに妊婦受け入れ拒否による死亡・重体事故が起こっています。いずれも、かかりつけ医から救急病院への伝達がうまくいかなかった、というのがその理由だと報じられています。救急患者受け入れの判断は「緊急性」だそうですが、かかりつけ医側は確かに緊急であるという認識を持ちつつ伝えたという一方、受け入れ側は電話での説明に緊急性を感じられず結果として判断を誤ったのだ、という認識のずれを主張し双方が譲らない状況だとのこと。

それを聞いて、うちで異文化理解の授業を依頼している三角友子という研究者の「日本人のコミュニケーションの特徴の一つとして、依頼や説得等の際、直接依頼する言葉を述べるのでなく、状況を説明して済ませることが多い」という話しを思い出しました。

たとえばお金が欲しいときに「お金をください」と言う代わりに「お金がない」と言ったり、テレビの修理を頼む際「故障らしいので修理してほしい」と言わず「画面が暗すぎるが故障かもしれない」と訴えたりすることを指しています。確かにそう言われるとそうです。
言語学の中にはこのような文脈や状況によって文字通りの意味とメッセージの内容が違う言葉の使われ方などを研究する「語用論〜Pragmatics」という学問があります。これはイギリス人が体系化した考え方で、つまりこうしたコミュニケーションは日本人の専売特許ではないのですが、他の国と比べるとこれが段違いに多いために日本語が曖昧だと批判されてしまう理由の一つだ、とも言えるでしょう。

この語用論を交流分析の中の対話分析という精神分析の手法で見直すと、「鋭角裏面交流」というやりとりになるのですが、これは親密なうまくいっている人間関係の場合に多く見られます。仲のよい友達や夫婦など、相手の意図がいわゆる「あうんの呼吸」で伝わる、というやつです。言葉すらいらないのが究極の関係なのでしょうが、逆に百万語を尽くしても伝わらない関係、というのも存在します。多くは人間関係がない、、あるいは、人間関係が壊れている場合は、言葉がむしろ逆効果でしかないということさえ起こるのです。

今回の救急医療事故のトラブルを見ると、「緊急性を認識し、そのことを伝えた」つもりの送り手側と、「伝えられた内容に緊急性を感じなかった」受け入れ側、という、まさにコミュニケーションギャップに問題があることがはっきりしてきました。目の前、あるいは電話の向こうによく知った患者の姿や肉声がある、という状況に直面している送り手側と、面識どころか人間関係がなく、できれば必要最低限の受け入れのみをしたいという受け手側の間の文脈にはかなりの隔たりがあることがわかります。
送り手側であるかかりつけ医は事実を伝えたことで相手に自分と同じ判断が伝わるはずだ、という思い込みがあり、受け手側である救急病院は伝えられた言葉の字義を自分の状況や心情に有利に狭めて(あるいは広げて)解釈したわけです。

この2つの事例を見ただけでも立場の違いは明白で、単純な心がけや行政の通達程度では何度でも起こりうる状況です。防止するには、状況の説明で相手に判断を委ねる従来型伝達を見直し、しっかりと相互に「緊急性」という言葉を使って、実際に口に出して確認する習慣づけを行う必要があるでしょう。これは双方のコミュニケーション態度として絶対に必要なことだと思います。確実に言語的手当をしなければ、改善されない。逆に言うと言語的手当で最低限の改善が可能になる、とも言えます。

医療現場でのコミュニケーション問題は取り上げられ始めているようですが、命がかかっているだけに、ぜひ、指差し確認ならぬ口出し確認(?)を行っていただきたい。ですね。

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We の違い

  • 2008年11月 5日 16:20
  • 雑感

アメリカの新大統領が大方の予想通り、オバマ氏に決まりました。アメリカ人と米大統領選の話題になると、みな口を揃えて「オバマのスピーチは素晴らしい。彼のスピーチには興奮させられる」と言います。

そのオバマ氏の有名なキーフレーズは、 Yes, we can 。

私たち(アメリカ国民)が、変えられる!そう、できる!
Yes, we can. Yes, we can change. Yes, we can.

このフレーズが人々の心をがっちり捉えたというわけです。日本人の私から見ると、この We の使い方がなんとも好ましい。

一方、わが日本の政治家の We すなわち「我々、私たち」が意味するところは「我が政党」。

われわれ(うちの政党)が変えられます!

国民のことは「皆さん」。「皆さん」には「私」は含まれません。政治家が「国民の皆さん」と連呼するたびに、ひどく違和感を感じます。「そう言うあなたは国民ではないのか」と。

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