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コミュニケーション Archive

問題解決

春休みに入り、娘は友だちを集めて遊び回っています。今日も昼過ぎに遊びに出かけた娘が、途中でいきなり戻って来て開口一番、
「ママ、問題が起きた!」
「どうしたの?」
「おにごっこやってたら、K美が途中で帰っちゃったんだよ」「何も言わないで」

事情を聞いたところ、友だち3人とおにごっこをやっていたところ、本当はおにごっこをやりたくなかったらしいK美ちゃんは、途中でRちゃんと話しているうちに何かが行き違ったらしく、突然誰にも言わないままに帰ってしまったらしいとのことでした。

「どうしたらいいと思う?」
「どうしたいの?』
「問題解決したい」「あとで電話するか直接話す」
「なぜ今じゃないの?」
「じゃ、今電話してみる」...「あ、K美?私。どうしたの?何か傷つたりした?とにかく、電話じゃだめだから、会って話そう。じゃ、ユネスコの前で待ってるよ」

と、電話を切ったあと、そばにいた友だちに
「いい?ぜったい、怒っちゃだめだよ。どんなに腹が立っても『なんで〜?』とか、そんな言い方しないこと!」
と言って、また飛び出して行きました。

しばらくして、全員で「問題解決〜!」と言って戻って来た後は、何事もなかったかのように、仲良く遊んだ娘たち。

友だちが帰った後、「今日は家の手伝いは全然しなかったけど、遊んでいたときのけんかの解決は、よくやったね」とほめると、
「保育園の頃、よく同じように傷つけられたから、気持ちがわかるんだよ。だからだよ。友だちの前ではいつもそう言うことを考えて肩に力が入っちゃうから、家では疲れてわがままになるんだよ」

...と、ついでにワガママの言い訳までしっかり。その言葉通り、家の手伝いは3度に1度しか手伝いませんが。

子どもなりになかなか高度なテクニックを使っているものだと、我が娘ながら若干驚いた次第。問題が起きた時、いきなり相手を責めないことと、何より直接対話が問題解決の王道だ、ということがわかって実行できることが大切です。大人になるとなかなか難しくなりますが。

あとは家の手伝いをしてくれると嬉しいのだけれど。

医療事故とコミュニケーション

この1〜2週間の間に、立て続けに妊婦受け入れ拒否による死亡・重体事故が起こっています。いずれも、かかりつけ医から救急病院への伝達がうまくいかなかった、というのがその理由だと報じられています。救急患者受け入れの判断は「緊急性」だそうですが、かかりつけ医側は確かに緊急であるという認識を持ちつつ伝えたという一方、受け入れ側は電話での説明に緊急性を感じられず結果として判断を誤ったのだ、という認識のずれを主張し双方が譲らない状況だとのこと。

それを聞いて、うちで異文化理解の授業を依頼している三角友子という研究者の「日本人のコミュニケーションの特徴の一つとして、依頼や説得等の際、直接依頼する言葉を述べるのでなく、状況を説明して済ませることが多い」という話しを思い出しました。

たとえばお金が欲しいときに「お金をください」と言う代わりに「お金がない」と言ったり、テレビの修理を頼む際「故障らしいので修理してほしい」と言わず「画面が暗すぎるが故障かもしれない」と訴えたりすることを指しています。確かにそう言われるとそうです。
言語学の中にはこのような文脈や状況によって文字通りの意味とメッセージの内容が違う言葉の使われ方などを研究する「語用論〜Pragmatics」という学問があります。これはイギリス人が体系化した考え方で、つまりこうしたコミュニケーションは日本人の専売特許ではないのですが、他の国と比べるとこれが段違いに多いために日本語が曖昧だと批判されてしまう理由の一つだ、とも言えるでしょう。

この語用論を交流分析の中の対話分析という精神分析の手法で見直すと、「鋭角裏面交流」というやりとりになるのですが、これは親密なうまくいっている人間関係の場合に多く見られます。仲のよい友達や夫婦など、相手の意図がいわゆる「あうんの呼吸」で伝わる、というやつです。言葉すらいらないのが究極の関係なのでしょうが、逆に百万語を尽くしても伝わらない関係、というのも存在します。多くは人間関係がない、、あるいは、人間関係が壊れている場合は、言葉がむしろ逆効果でしかないということさえ起こるのです。

今回の救急医療事故のトラブルを見ると、「緊急性を認識し、そのことを伝えた」つもりの送り手側と、「伝えられた内容に緊急性を感じなかった」受け入れ側、という、まさにコミュニケーションギャップに問題があることがはっきりしてきました。目の前、あるいは電話の向こうによく知った患者の姿や肉声がある、という状況に直面している送り手側と、面識どころか人間関係がなく、できれば必要最低限の受け入れのみをしたいという受け手側の間の文脈にはかなりの隔たりがあることがわかります。
送り手側であるかかりつけ医は事実を伝えたことで相手に自分と同じ判断が伝わるはずだ、という思い込みがあり、受け手側である救急病院は伝えられた言葉の字義を自分の状況や心情に有利に狭めて(あるいは広げて)解釈したわけです。

この2つの事例を見ただけでも立場の違いは明白で、単純な心がけや行政の通達程度では何度でも起こりうる状況です。防止するには、状況の説明で相手に判断を委ねる従来型伝達を見直し、しっかりと相互に「緊急性」という言葉を使って、実際に口に出して確認する習慣づけを行う必要があるでしょう。これは双方のコミュニケーション態度として絶対に必要なことだと思います。確実に言語的手当をしなければ、改善されない。逆に言うと言語的手当で最低限の改善が可能になる、とも言えます。

医療現場でのコミュニケーション問題は取り上げられ始めているようですが、命がかかっているだけに、ぜひ、指差し確認ならぬ口出し確認(?)を行っていただきたい。ですね。

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